菊池正浩のビジネスヒストリー

 

【菊池正浩 自己紹介 その2】
昭和58年 23歳 札幌信用金庫入社 鉄北支店配属
最初はそろばんが出来なくて毎日と年下の女性の先輩に
怒られてばかりいました。

 

このころバブルの前兆期
定期預金の金利が5.85%

 

住宅ローンの金利は
8%台だったと記憶しています。

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その3】

 

昭和59年 24歳
札幌信用金庫 光星支店に転勤

 

渉外担当として外回り営業生活がスタートしました。
光星ショッピングセンターという
公設市場を担当し、
八百屋さん、魚屋さん、肉屋さん、菓子屋さんなど
たくさんのお店の売り上げを集金したり

 

個人のお客様のご自宅に
毎月一回の積み立てを集金に行ったり

 

大きなカバンを50ccの原付バイクの駕籠にいれ
毎日走りまる日々が始まりました。

 

当時は12月31日まで営業しており
家に帰ると紅白歌合戦が始まっていたのを
覚えています。

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その4】
昭和63年 29歳
札幌信用金庫 大谷地支店に転勤

 

地下鉄駅直結の個人向け店舗
毎日毎日マンションをローラー訪問していました。

 

このころバブルが始まり
大谷地支店でも
ある日謎の不動産屋さんが
紙袋に入った8000万円の現金を持参し口座を開設

 

その後も仕事は絶好調だったようで
近くに豪邸を建て、
ススキノでクラブ経営までしていたらしいのですが
バブル崩壊とともに預金はすべて引き出され
それっきり姿を見なくなりました。

 

私は、この店舗の時に結婚
長女誕生、そして家を新築しました。

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その5】
平成4年 34歳
札幌信用金庫 定山渓支店に転勤

 

手稲区富丘の自宅から定山渓まで約35キロ
一時間弱かけて毎日車で通勤

 

温泉街のホテルを集金するのが仕事で
さらに冬は軽自動車で札幌国際スキー場の集金
吹雪の山道で何度も死にそうな目に会う

 

仕事はつらかったけれど
人情深い定山渓の人たちとの日々
そして紅葉の美しさは
一生の思い出でとなりました。

 

平成4年7月 母が57歳で死去
翌年の平成5年1月 次女誕生
プライベートもいろんなことが多かった時期でした。

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その6】
平成8年 38歳
札幌信用金庫 栄町支店に転勤

 

1店舗目、2店舗に続いて待たして東区へ
バブルがはじけ金融不安が広がる中
拓銀破綻という信じられない出来事が、、、

 

個人的には会社の中での自分の位置に
不安を感じ始めたころ

 

プライベートでは三菱シャリオに荷物を積んで
家族でキャンプを楽しんでいました。

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その7】
平成10年 39歳
札幌信用金庫 発寒支店に転勤

 

発寒の鉄鋼団地・木工団地を担当し
職人魂を持つ製造業の社長さんたちから
いろんなことを教えていただきました。
このころ金利が下がり、住宅ローンの借換も
たくさんお受けし、今の仕事の基礎を学びました。

 

パソコンを買い、ネットで株式投資を始めてみたら
あっという間に株価が下がり
高い授業料を払って
投資は難しいことを知りました。

 

現状打破のためにFP資格取得のための勉強を開始

 

まさかそれが数年後の転職に結びつくとは
夢にも思っていませんでした。

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その8】
平成12年 41歳
札幌信用金庫 澄川支店に転勤

 

7回目の転勤 またまた渉外担当の辞令を受け取り
18年間外回りが続きました。

 

支店は若いメンバーが多く、とってもいい雰囲気でしたが
相変わらず会社からはいい評価を得られず、
せっかく取得したFP資格を活かすことも出来ず
自分の先が見えてくる中、このままでは終わりたくないと
悶々と毎日をすごしていました。

 

プライベートでは コーギーの蓮(犬)が家族の一員に加わり
相変わらず家族でキャンプを楽しんでいました。

 

そして、ある日かかってきた一本の電話が
私の人生は大きく変えることになります。

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その9】
平成13年 42歳
札幌信用金庫 澄川支店にて

 

「AIGスター生命という外資系会社ですが
今回、日本で新しい事業展開をするのに
優秀な人材を募集しています。

 

ぜひ、菊池さんの力を貸してほしいのですが
一度、お話を聞いてもらえませんか?」

 

いわゆる外資系保険会社からのスカウト

 

この一本の電話から私の運命は大きく変わり始めることになります

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その10】
平成14年 42歳
19年間勤務した札幌信用金庫を退職

 

外資系生命保険会社「AIGスター生命}に転職
当初3ヶ月間だけ固定給がある
フルコミッション(完全歩合制)の仕事

 

とにかくがんばらなければと必死に働いて
成績を残し、新人表彰でイタリア旅行をゲット

 

でも、転職してみたら、思っていたのはかなり違うことが多く
不安の気持ちが日に日に大きくなり始めました。

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その11】
平成15年 43歳

 

外資系保険会社2年目、
友人・知人・信用金庫時代のお客様を回りながら
何とか急慮は維持できたものの
常に不安との戦いの日々が続く

 

9月にイタリア表彰旅行
ベニスの美しさに心奪われるが
その月は仕事が出来ず収入激減でかなり焦る

 

何かをつかもうとインターネットで見つけた異業種交流会に参加し
それをきっかけにさまざまなセミナーに参加
いろんな人と出会いいろんなことを学ぶ

 

この頃から
マーケティング・セールスに関するビジネス書を読み始め
「神田昌典」さんの本に出会い大きな影響を受ける

 

そして運命の平成16年へ

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その12】
平成16年 44歳 転職3年目

 

外資系生命保険会社転職3年目
自分と同じように
いろんなところから転職してきた人が
契約を取れなくて次々と辞めていくという
厳しい現実に直面

 

自分なりにいろんな勉強をしながら
必死で頑張っていたが
少しずつ売上が落ち始め精神的に落ち込み
落ち込んでいるからいい仕事が出来ず、
さらに売り上げが落ちるという
悪循環にはまり大スランプに陥る

 

月収が10万円を切る月が続き
奥さんが口を聞いてくれなくなり

 

本当にもう駄目かな、、、と思った時

 

ある人から温かい言葉を貰って
復活のきっかけをつかむ

 

そして
すべてをかけてあるプロジェクトを始める

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その12】
平成17年 45歳 開始系生保4年目

 

気持ちは持ち直したが、相変わらず収入はどん底

 

どうせだめになるのなら、やりたいことをやりきってからあきらめよう
そう考えて、以前から考えていた法人先へのFAXマーケティングに挑戦

 

1ヶ月間まったく営業せずに会社にこもり
利益を出している法人先のFAX番号を集め
マーケティングの本を読み研究して作り上げたFAXDMを2000社に流した結果
60件の返信受取る。
そのうちの1社から年払い保険料600万円の保険をいただき
翌月の給料が200万円に跳ね上がり何とか危機を脱出。

 

その後もFAXDMに反応いただいたお客様から契約をいいただき
精神的にも余裕が出てやっと自分を取り戻す。

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その12】
平成18年 46歳 転職4年目

 

FAXマーケティングを続けながらも次の展開を模索
自分のステップアップのために
岸英光コーチのコーチング講座を学ぶ

 

一社専属の保険外交員でなく
「ファイナンシャルプランナー」として
独立できないかと考え始める

 

プライベートでは
上の娘の高校受験 家族で念願のハワイ旅行
などイベントの多い年でした。

 

【菊池正浩 自己紹介 その13】
平成19年 47歳 外資系生保5年目

 

それなりの成績は残せるようになり
安定はしてきたが
完全歩合給の厳しい世界で
いつまでやれるのだろうかという不安は
常に心から離れず
どうしたいいのかを模索する日々が続いた

 

マンションのローラーは訪問をしてみたり
札幌中の病院への飛び込み訪問をしてみたり
法人経営者向けセミナーを開催してみたり
いろんなことを試してみたが

 

決定的なものをつかむことが出来ず
もやもやとする日々が続く

 

この年3度目の海外表彰旅行でオーストラリアへ
グレートバリアリーフで体験ダイビングを体験

 

異業種交流会で知り合った方たちとの交流も広がる

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その14】
平成20年 48歳 外資系生保6年目

 

「保険業界は今後複数の保険会社の商品を取り扱いできる
来店方の総合保険の時代になる」

 

そんな予感を抱き独立代理店瀬釣る津を目指し活動を始め
さまざまな情報を収集した中、
自分の考えに一番あった形でのオファーをくれた
独立代理店へ移籍することを決断

 

6年間お世話になった外資系保険会社を退社し
保険代理店に所属しながら個人としてFP事務所設立

 

保険募集をしながら
FPとしてTVに出たり新聞に記事を書いたりしているうちに
人脈作りのために始めたビジネス勉強会が少しずつ大きくなり
いろんなところでセミナー講師をするようになり
年末、雇用促進事業団から依頼されたセミナーでは
100名以上を集客し好感触を得る

 

いろいろ忙しいがなぜか収入は上がらず一抹の不安が、、、

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その15】
平成21年 49歳 独立2年目
月1回の定期的なセミナーを開催のほか
いろんなところでセミナー講師をするものの
思うように収入に結び付かず
少しずつ焦り始める

 

保険の仕事に力を入れるがなかなか状況は回復せず
セミナー活動も停止し、もう一度仕切り直しを考える

 

人振り返ると一年前が人生のピーク
そしてこの年はいきなりどん底へ落ちた感じ

 

またまた不安が大きくなり
精神的にもかなりつらかったが
気持ちだけで頑張っていた年でした

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その16】
平成22年 50歳 独立3年目
所属している代理店の社長から
住宅ローンの仕事を始めるから手伝ってほしいと誘われ
軽い気持ちで応じるが始まってみるとこれが大変

 

フラット35独特のルールを覚えるために
東京で2ヶ月間の研修を終えかえってきてからも
試行錯誤の毎日が続く

 

しかも報酬はフルコミ(完全歩合制)のため
始まった当社は収入がほとんどなく
かなり切迫した生活環境となる

 

それでもこの仕事は続けていけば何とかなると直感し
未来を夢見てがんばり続けた、、、

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その17】
平成23年 51歳 独立4年目

 

フラット35の代理店業務が
やっと軌道に乗り始める

 

旭川・帯広・釧路に店舗展開
すべての案件の審査をしながら
店舗管理・運営に携わり休む暇なく働き続ける日々だが
収入が少しずつ安定してきて
気持ちは少し楽になってくる

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その17】
平成24年 52歳 独立5年目

 

フラット35代理店 函館店オープン支援のため
月曜から木曜まで函館にて週末札幌に戻るという生活

 

ビジネスホテルに泊まりコンビニ弁当の毎日はきつかったが
新しい店がだんだん形になっていくのは楽しかった

 

札幌・函館は軌道に乗り始めたが
そのほかの店舗が不振のため
あちこちから応援を求められ対応

 

ネットのおかげでどこにいても仕事が出来る分
まったく自分の時間はなく

 

収入は安定してきてきたが
体はボロボロ、、、

 

そして次なる試練がやってくる

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その18】
平成25年 53歳 独立6年目

 

不振店舗を建て直すべく
生まれて初めての単身赴任で帯広へ

 

アパートを借りて25年ぶりの自炊生活
休みの日には十勝の自然を楽しんだりしながら
久しぶりの独身生活を楽しむ

 

夏には山梨県の甲府店のフォローで
日本一の暑さも経験

 

多忙な日々が続く中
少しずつ溝が出来はじめていたオーナーとの関係が
あるきっかけで大幅に悪化

 

「いつ切られてもおかしくない」状態となり
またまた難しい局面を迎える

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その19 】
平成26年 54歳 独立7年目 その1

 

2月4日
24回目の結婚記念日の翌日
いきなり代理店オーナーから呼び出され
「来月で住宅ローンに関するすべての管理業務から離れてください
今まで払っていた売上に対するコミッションも
来月からはお支払しません
今後は一営業社員としての在籍だけを認めます」という
実質解雇の通行を受ける。

 

ある程度予想はしていたが、いきなりの通告はきつかった

 

元々きちんとした契約を結んで始めた仕事でもなく
すべては口約束でやってきたため、自分を守るすべはなし

 

裁判でもすれば勝てたかもしれないが
それよりも、まずはこの先どうやって稼いでいくか
そのことで頭が一杯となった、、、、

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その19 】
平成26年 54歳 独立7年目 その2

 

実質の解雇通告に動揺しながらも
次に進むことを考え、せっかくがんばってきた
フラット35の業務を生かす方法を模索

 

ネット調べ、代理店を募集していた
日本モーゲージサービスに電話しアポをとって
すぐに東京へ飛ぶ

 

いきなりのアポイントにもかかわらず
先方はこちらが北海道で5つの代理店を立上げ
全体を統括していた人間であることを調べていて
いきなり営業本部長と面談し

 

代理店としてやってほしいとのオファーをもらう

 

自分を解雇した代理店オーナーを見返したい気持ちもあり
フラット35の代理店で勝負することを心に決める

 

資金面を始めさまざまな問題を何とかクリアーし

 

平成26年4月14日 「株式会社オフィスこの指とまれ」を設立
日本モーゲージサービスの代理店として営業を開始

 

とにかくお金がないので
家賃6万円のレンタルオフィスでのスタート

 

4日間の東京研修もジェットスターとカプセルホテルで
旅費・交通費合計3万円でやりくり

 

夜は新橋の焼き鳥屋さんで
でっかい会社にするという夢を肴に
一人で焼酎を飲んでいた。

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その20】
平成26年 54歳 独立7年目 その3

 

平成26年10月から

 

貸金業法上の正式な住宅ローン代理店として認可を受けるために
同じビルの大きな部屋に移転

 

11月より正式業務が始まり
申込受付・審査・金賞契約まですべての業務の取り扱いが始まる

 

並行して住宅ローンセミナーも開催

 

12月から帯広も含め5名体制となる

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その21】
平成27年 56歳

 

経営者でありながら総務・経理をこなし
そして一人の営業マンとして業者様を回り

 

案件を受ければ
審査から金消契約・融資実行・資金決済までをこなす
多忙な日々が続く

 

徐々にお客様が増えてきて
何とか会社も軌道に乗り始める

 

 

 

【菊池正浩 自己紹介 その22】
平成28年 2月 56歳

 

社会人となって33年
1回目の転職から14年
完全独立から8年
フラット35の代理店を始めて6年
会社設立会社22ヶ月目
いろんなことがありましたが
何とか毎日がんばっています!